会社紹介
 

  私、ビオフェスタ代表 木村友昭、自身が幼い時から軽度のアトピーと敏感肌で肌が弱く、特に冬場は
  乾燥からくるかゆみに悩まされ、お風呂も水道水では肌に合わず、ソープも弱酸性でもピリピリ感を感じる
  程で、各種入浴剤や肌に良いとされる植物、クリーム等、色々試し、工夫していた経緯がありました。

1997年 日本に帰国した頃からエプソムソルト、塩化マグネシウムなどの良さを知り、単独使用や混合や組み合わせなど
      を考え、自分にあう比率や濃度などを研究し使用を始めました。

2018年 それまで季節や湯量に合わせた成分調整などから、商品化を考え、販売会社ビオフェスタの登録商標を出願し、
      販売の準備をし、混合による液化を前提に、ペースト状のサンプルを制作し、友人、知人に配布しモニターを
      開始しました所、好評で、特に女性の方に高い評価を頂きました。
2021年 当初は塩化マグネシウムの潮解性の問題でレモン色のペースト状で、保存期間が短い問題がありましたが、
      粉末のドライ方式が品質管理や好感度が高い為、分包して粉末状態に切り替え、商品名のマリングレイス
      を商標登録としました。
2022年 4月 ビオフェスタ オンラインショップを開設し、マリングレイスの一般販売を始めました。
      6月 43年間の眼鏡技術の経験からメガネ関連の商品の通販を開始しました。
      7月 健康は、毎日の小さな積重ね、食は医なりの考えで、健康維持の為の健康食品の販売と実際の効果
         各社の成分構成などに興味が深く、関わっていましたので健康食品の通販を開始しました。 

ご支援に感謝しております。

      ≪ 医療ミスによる両眼視機能異常を克服する闘い ≫

私は、1999年11月末に左目を眼窩底骨折(受傷)し、2重に見える症状がでまして、徳洲会茅ヶ崎病院眼科を受診しました。
しかし、骨折が頭部の骨ということで形成外科に回されまして、経過観察3週間目で二重視は改善し、日常生活に支障のない程度
まで回復しました。しかし、周辺視野で微妙な複視が残り、医師との相談の中で、手術で治るとの診断を受け、翌年1月に入院し
て眼窩底骨折手術(プレートの挿入手術)を受けました。ところが、手術室に入る段階で、骨折箇所が目の奥で難しい場所だから、
手術を途中で止める場合がある言われました。「そんな話は聞いてない」と不安がよぎりましたが、だまし討ちに遭った気分で
医師の判断に任せる以外にない状態でした。

手術を終えた翌朝、私は、違和感からトイレの鏡の前で包帯を外し、確認をした時点で眼位の異常を確認し、絶望の淵に立たされ
ました。 それは、想像を超える最悪の状態で、眼位は、見た目に異常が確認でき、右目(正常)に対し、左眼の映像が下方2.5m、右に
1m、更に15度左回旋ととんでもないロンパリ状態で、最初に骨折した時の2重視より10倍以上の悪化を起こし、歩くことも
困難な状況に追い込まれ、思考や精神的にも混乱する状態に追い込まれました。

眼科医であれば、外見で容易に異常と解る眼位でしたが、担当医に異常を訴えても、訓練をすれば治ると理解されす、状況を理解
する事と、最初の骨折時の2重視が3週間で急に回復した事もあり、私は、視機能回復訓練を続けながら、検査機器を使えないので
見える視界の左右差で左目の状態を推測し、異常の程度を把握に努めて、左眼が35°上転して殆ど動いていない事を確認しまし
た。

術後、2週間以内で運動回復させないと筋肉が癒着し、機能不全が起こることを考えると時間的にも余裕はありませんでしたが、
担当の医師に、これは異常以外の何物でもなく、左目の左右の動きが制限され、下転運動がないと症状を明確に訴えて、説得す
るのに時間が掛かり、涙ながらに眼科医の診察を求めました。

眼科医師の診察を受けたことにより、その深刻さが理解され、再手術となりましたが、
プレートを取り除く以外に方法はなく、左目が動くかの可能性は低い対処でしかないのは明らかでした。
理由は明確で、プレート挿入ミスという単純なものです。眼窩は薄い骨ですが、必要以上に厚く、大きなプレートにより、眼位
を押上げ、眼球角度と眼球運動に障害を起こした。
さらに、その手術と圧迫により、顔面左半分の顔面神経にも異常を生じ,感覚を失わせたというものです。
再手術後、看護師も「厚すぎたもんねぇ〜」と証言しています。


現実に直面した障害は、歩行等の日常生活や精神状態や思考能力など業務にも支障が残り、以後、医師よりの回復の方法も示
されない中、プリズム膜(20〜30プリズム)を使用した訓練、健康眼遮蔽など視機能回復訓練の努力を行いましたが、全く
効果がなく、視機能的には左目はより上転し、眼瞼の中に入る形、あるいは眼瞼下垂(瞼が下がる)廃用という形をとるよう
になりました。
眼の筋肉6本は眼窩という薄い骨に囲まれた内部にあり、指や腕、関節など手足の様なリハビリなどの直接的な運動補助はで
きない部分であるという壁に阻まれ、異常さの程度が大きく、筋肉の癒着等から回復より廃用に向か当然の結果ではあります。
なぜなら、手術後から左眼を意識的にも動かすことができない状態だからです。
しかし、10年前に再会した母親の「そんな体では生まなかったのにねぇ」という言葉に、何としても回復させたいと決意し、
普通の人,普通のメガネ技術者とは違うという自負から、直せないことはないと考え、研究により、方向性を見いだしました。

目を動かない眼を如何に動かすか、神経の伝達系、及び外眼筋の筋力と癒着の問題など、これまでの経過を振り返る現実と、
特殊だが、実験結果が、これだけ記憶に残っていると言うことは何かを示唆している、導いていると確信して
運動神経回路修復の個人的理論に基づき、独自の低周波電流の活用にチャレンジし、5年前に意識的な微動を確認することが
できました。
以後の独自の回復訓練で3か月クールで2度の運動増加、3年間で水平視近くまで目を意識的な瞬間運動(固定不可)ができ
る状況まで回復させる事に成功し、回復への希望をつないできました。
それまでの回復訓練も辛く、孤独との闘いでしたが、左右のカバー、アンカバーテストでの差異が、約35プリズムとなった
頃には、手術直後の異常状態にまで回復した事で喜びましたが、回復訓練は頭を固定して、左目を意識的に動かす訓練では、
筋肉が擦れる痛み、極度の眼精疲労による集中力の低下、強力な睡魔、吐き気、めまい、思考・記憶力の低下など、全ての
活力を削ぎ取られるような苦しみが続きましたが、それは、この後、訪れる苦痛と困難の序曲に過ぎませんでした。

呪われたかのような左眼の機能を回復させたい。取り戻したいという気持ちと裏腹に苦悩に悩まされました。
2019〜2020頃頃には、全く仕事が出来ないほど精神的にも肉体的にも、気力さえ奪われる状態となり、真に業務を続
ける事もできなくなり、2021年に入ると筋肉の癒着部分の回復では、痛み止めを飲まないと耐えられない状態の筋肉が裂
かれる激痛と意識障害などが加わり、回復と悪化の繰り返し、さらに眼が機能を取り戻そうとするのか、勝手にリハビリモー
ドに突入する現象が起き、1日18時間、1週間で5日間ほどの割合で動けなくなる状態が続いたのです。

意識的な目の微動を確認したときは、容易に回復できると期待しましたが、体が廃用を選択した意味は、容易ではない苦難の
道ということだったのでしょう。
予想もしなかった副反応(廃用より回復が、より肉体的にも精神的にも苦しく、困難状況)に直面し、2つの事業の継続もbr
断念せざるを得ませんでした。

私は、奪われた目の機能を回復させたいと一心に思って、考え、研究して立ち向かいましたが、そのことが、ここまでの苦難
を伴うとは予想できませんでした。
今春3月、やっと仕事ができそうな状態と考えましたが、眼科医の科学的診断では廃用前の術後の異常状態に戻った程度で、
まだまだ、回復までは遠く、時間と苦難は続くようです。
医療ミスから22年、意識的微動を確認してから5年間の必死の、痛みと苦悩のリハビリでもそれだけか?
とショックを受けました。
それでも、外観、自覚的に回復の実感は大きく、チャレンジを続けたいと思います。

一般の方に、私の見え方を説明すると地震の長周期振動の中にいると考えていただければ解りやすいと思います.
高層ビルで地震の時、ゆっくり横揺れを感じる恐怖の体験です。
それが、横揺れではなく、斜め上下2.5mの揺れの中で生活しているのが私の見え方です。
体は揺れていないのに、全ての物が斜め上下に揺れている状態です。
2022年、7月、その揺れは上下1m振幅程度に回復しそうな状態です。
社会復帰を目指して、今後も努力を続けたいと思いますし、出来ることから始めようと考えて、ビオフェスタを始めました。
今までの皆様のご支援に感謝いたしますとともに、今後とも、何卒、引き続きご支援とご鞭撻を賜りますようお願い致します。